マガン飛び去る

10月6日(火)

 朝、羅臼川河口を見下ろせる部屋に住んでいる友人から連絡があった。マガンがいなくなっている、と。昨日の夕方は河川敷で草を食べていたから,夜のうちか早朝に飛び去ったのだろう。

 マガンの繁殖地はカムチャツカ半島が有名だ。
 全くの想像だがカムチャツカから千島列島沿いに飛んできた。知床半島にたどり着いた時、疲れて羅臼川河口に降りた。2泊して河川敷に生えた牧草を食べ、体力が回復したので飛び立った。一緒に渡ってきた群れは、ウトナイ湖か美唄の宮島沼あたりに留まっているに違いない。
 もう、今頃は家族に合流していることだろう。

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マガン続報

 マガンはまだいる。
 普通は非常に警戒心が強い種のはずだが、30メートル以内に近づいても結構平気でいるところをみると、やはり衰弱しているだろう。
 それでも昨日より元気になっているように見受けられ、カラスに強く反撃している。そのため、今日はカラスもあまりちょっかいをかけていない様子で、距離を置いて眺めているようだった。また、たまに挑発するカラスがいても、強烈に反撃していた

 体力を回復して、渡りを続けていかれればいいものだ。ほかのマガンの群れが上空を通ることもあるだろう。彼らはいつも鳴き交わしながら渡るから、その声に誘われて越冬地へたどり着いてくれることを祈りたい。Sany0033tc
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羅臼川河川敷に不時着したマガン

 羅臼川河口近くに一羽のマガンが降りていた。左岸の河川敷でさかんに草を食べていた。カラスが寄ってきてちょっかいを出していた。まったく、カラスという鳥は余計なことをする。うっとうしい鳥である。
 「三千世界のカラスを殺し、あたしゃも少し朝寝がしたい」と歌われているが、同感である。
 「三千世界のカラスを殺し、マガンにゆっくり食べさせてやりたい」

 ガンの仲間は海岸線や川の流れに沿って飛ぶことが多い。シベリアから日本に渡ってきたマガンの群れから一羽だけ離れて、河口に「不時着」したのだろう。群れから離れざるを得ないほど腹が空いていたのだろうか。一羽の仲間を見捨てて、飛び去るほど先を急いでいる群れだったのだろうか。朝からいたということだから、夜間飛行をしていた群れなのだろう。一羽が脱落したことに気づかなかったかも知れないが。

 試しに保護しようかと近づいてみたが、アッサリと飛びたって右岸に移動した。だが、草の豊富な左岸にすぐ戻ってきた。引き続き見守って、必要があれば保護しなければならないだろう。とりあえず関係者に連絡することだけをしておいた。

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羅臼岳で遭難

先週初めに羅臼岳に登った69歳の登山者が下山していない、ということで今日から本格的な捜索が始まった。ヘリコプターも飛び回っていたが、今日の段階では何も進展はなかったようだ。
 明日、自衛隊も参加して捜索の規模を広げるらしい。自衛隊の宿舎に体育館が充てられ、ヘリポートとして野球場が使われ、羅臼の町中は一段と騒々しくなることだろう。それでも人命には代えられない。今の季節なら、遭難してもあまり動き回らずにいれば生存している可能性はある。先週は火曜日にかなりの雨が降り、時々にわか雨が降った日も少なくなかったように思う。昨日も降ったようだ。
 雨がふれば体温が奪われて衰弱が進むことが心配だが、同時に水分の補給にはなる。無事でいてほしいものだ。

 特に本州の人は、北海道の山の難易度を低く見る傾向がある。羅臼岳も1661メートルという高度に騙されるのかハイキングのような気持ちで登る人もたまに見かける。確かに、好天に恵まれていれば問題なく山頂まで往復できるのだが、ひとたび荒れると信じられないような風が吹き、雨が降るのだ。十分な装備と入念な計画で行動しなければ、知床の山は危険きわまりない場所になる。
 今回の登山者もそのことはよく理解して登山していたものと信じたい。Dscf0646

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知床岬行(7) ダスビダーニヤ(さらば)モイルス

8月4日(火)

 モイルスを去る日が来た。昨日のクマは、個人的には良い体験だったが、「小中学生の加わった集団」にとってはきわめて危険で、対応せざるをえなかったわけで、個人的には強いジレンマを感じて忸怩たる思いもあった。

 そんなことも含めてたくさんの思い出が作られ、とても5泊6日の短期間の滞在だったようには感じられない。皆が起床前、毎朝の磯の散歩、イタドリで壁を作ったお風呂、岬の夜光虫や星たち。そして、知床の地にドッカリと腰を据えて子どもを育てようと「探検隊」に取り組んでいるスタッフの大人たち。どれ一つとっても強い印象となって心に刻みつけられた。スタッフの一人一人の印象は、また別の機会に書き留めておきたいと思うのだが。

 早朝、帰路についた僕たちは、モイルスの出入り口ともいえるタケノコ岩でまず足止めされる。相泊側への急傾斜を下るために、ザイルにスリングをブルージック結びで結びつけ、安全を確保しながら一人ずつ降ろすのだ。僕と同様に銃を持っているトウちゃんが先発し、僕は最後尾で待機する。
 タケノコ岩を降りてから化石浜まで、水冷火砕岩(ハイドロライト)の塊がゴロゴロしている迷路のような中を進む。デバリと呼ばれる磯だ。干潮の時間を選んできたし、波もないので楽に通過することができた。化石浜を過ぎようとしたとき、休憩中の班があって、その付近に強い異臭が漂っている。近くを見るとアザラシの死体が波打ち際に打ち寄せられている。こんな場所はクマにとって、非常に魅力的で、近くにクマが潜んでいる可能性は高い。隊列の中程を歩いていた僕が近づいていくと、それまでそこで休んでいた一行が腰を上げた。僕の後ろには二つの班がいる。それも「わんぱく隊」、小学校4~5年生を主体とする班だ。それらの班が通過するまで、一人でそこに残ることにする。たった一人でアザラシの死体=クマのご馳走とともにそこに残るのは、さすがに心細いなあ、など考えつつ、ボンヤリ海を眺めていた。生命が誰の助けも借りずに自分の力だけを頼んで生きる場所、いま、そんな場所にいるんだなあ。これはすごいことだなあ。
 幸いなことに特別なこともなく、全員がその場所を通過した。

 やがて観音岩を超えると人里がぐっと近づいてくる。ゴールの相泊はもうすぐだ。
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知床岬行(6) 静かなるクマ

 この日は、テーマ別の個人活動ということでスタッフが用意したテーマに子どもたちが自由に参加して活動する催しがもたれた。
 僕は、「森のお茶会」ということにして、森に生えている植物を何種か採集してきてお茶を煎れるという活動を提案した。はたして何人の子どもたちが来てくれるのか、と不安に思っていたが、7人も集まってくれた。
 早速子どもたちとともに森に向かう。森に入る前に少し気取って儀式をした。アイヌ民族の伝統に則ったつもりだ。宮沢賢治先生の童話も取り入れて
「これからお茶の材料を採りに行ってもいいかあぁ?」と森に問いかける。
腹話術的に
「いいぞおぉ」などと答えて笑わせたりしながら楽しく植物を採っていた。採りながら植物の名前やお茶にしたときの性質や薬としての性質などを解説した。子どもたちは、ほぼ一列に並んでいた。説明の最中、先頭のK君が突然声を上げた。
「あ、クマ!」
 振り向いた僕の視野にちょっと大きめのクマの顔が飛び込んできた。距離は7~80メートル。あわてる様子もなく、ゆっくりと横に移動していた。(ように見えた)ほんの短い時間だったのだろうが、僕にはひどく長く感じられた。自分がしなければならないことが頭の中で渦巻き、そうとう焦っていたのだろう。
 まず、子どもたちへの指示だ。
「静かにして」(すでに静かにしていた)
「なるべくくっついてかたまって」(すでにかたまっていた)
「大人の後ろに付いて」(すでに他のスタッフが前に出てきていた)
(ああ、なんと情けない)
 …それから、えっとえっと、あ!そうだクマ撃退スプレーだ!
 いつもイメージトレーニングの時には、片手でスッと抜いて構えられるスプレーが引っかかって出てこない。慌てて両手で抜き、安全装置をはずして構えた。
(ああ、情けない)
 クマは、そんな僕に「情けないヤツ」と軽蔑するような視線を送りながら、そして、かなり迷惑そうな表情をしながら、ゆっくりゆっくり移動し、距離を開けていった。クマが離れつつあることを確認して、僕たちも静かに森から出た。

 この出会いは、網膜に焼き付けられるような強烈な出会いになった。特に威嚇されたわけでなく、襲われたわけでもない。危険を感じることは全くなかった。森で静かに暮らしているヒグマを出会った、というだけなのである。
 おそらくあのクマは僕たちが森に入っていくことをはじめから知っていたのだろう。できるものならそのままやり過ごそう、と思っていたのかも知れない。ところが、僕たちがどんどん近づいて来るのでしぶしぶ立ち上がって動き始めたのだろう。
 クマと出会った経験は今回が初めてというわけではないのだが、落ち着いて堂々とした態度から発せられる威厳に、圧倒された今回の出会いだった。
 モイルス(静かな湾)の静かなクマ!一生忘れられない出会いとなった。

 ところが、問題はまだ残っていた。他にも森に入ったグループがひとつあるのだ。川釣りをするグループだ。急いで本部に知らせ、無線で連絡をとる。追い払いのために、数名の大人だけで森に入る。遠くに去ることなく、やや離れた所でとどまっていたクマを追い払う。たった一頭のクマで、午前の予定は大きく狂い、キャンプ場は大変な騒ぎを抱え込んでしまった。

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知床岬行(5)

8月2日(日)
 朝食後灯台まで往復することになった。海路を使ったとは言えせっかく岬まで来たのだ。初めて来た子もいることだろう。知床岬の象徴である灯台に行きたい思いはだれの胸にもあった。しかし、岬のすぐ近くの兜岩にいた「脅しの効かない雄グマ」というのが大いに気になる。だが、広い台地の上は見通しもきくからなんとかなるだろう。

 文吉湾から灯台までは、2キロ足らず。片道30分前後の距離だ。周囲をよく見ながら一列で行進する。やがて灯台下の階段の登り口に到着した。灯台からの眺望は素晴らしい。遠くが雲で霞んでたが国後島の山々、知床岳などもよく見えた。昨日とは違って風が強く、海面に白い波が立っていて帰り、船の揺れが増すことが予想された。

 灯台を降り、来た道を引き返す。文吉湾では、乗ってきた船が静かに僕らを待っていた。美しいが荒々しい自然に囲まれた中で、あらためて船を見ると、実に力強く頼もしく見えるものだ。

 やがて、その船は僕らを乗せて文吉湾を後にした。岬を回ると舳先に当たる波が砕け、後部甲板にいた人々はバケツで水をかけられたようにずぶ濡れになっていた。波が当たらないのは後部の小さな船員室と舳先の波切りの陰の部分だけだ。手元のGPSで測定すると時速40キロで走っている。あらためて漁師の仕事の厳しさの一端を見た気がした。

 やがて、船はモイルス湾に入って投錨した。Dscf0505
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知床岬行(4)

8月1日(土)
 「たいちょう」自らが操船する19トンの漁船は静かな海を岬を目指して進む。舳先に立って海面を眺め回したがイルカの姿や噴気も見えない。時折フルマカモメ、ウトウ、ウミウが通り過ぎるだけだ。
 やがて、岬の岩礁を大きく迂回し、半島の西側(斜里町側)へと回り込む。羅臼海域をテリトリーにしている「たいちょう」は、海底地形を注意深く探りながら慎重に岬の避難港である文吉湾に船を入港させた。
 上陸後、さっそく啓吉湾まで徒歩で移動。干潮の時間帯だったので岬の台地に登ることをせず、磯づたいに移動することにする。「啓吉湾で泳ぐ」というのは探検隊の定例行事だったようで、スタッフの大人たちも子どもたちも、同じように海水浴を楽しんでいた。とは言えここは知床岬である。万一の場合に備えて僕は動くことができない。夏の太陽が照りつける浜で、皆が海で遊ぶ様子を見守っているしかなかった。けれども、この時間は決して退屈で無意味ではなかった。岬の空気を呼吸し、岬の空を見上げ、岬の風に吹かれる幸福なひと時だったことに違いはない。

 知床半島の西側は夕陽が美しい。夕食後、海岸まで出てみる。オホーツク海に沈む夕陽とその残照が美しかった。しばらくの間、あの太陽は、今頃ウルムチの街をも照らしているのだろう、などと取り留めのない思いに耽った。

 夜は船のデッキで寝ることになった。ふと思い立って長い竿で海水をかき混ぜてみる。予想通り、水中で青白い光が生じる。それは竿の先を追うようについてくる。夜光虫だ。見上げると空には星。

 風も弱く、かすかに揺れる船上の寝心地は最高だ。夜半、眠りが浅くなった時に何度か目を開けてみた。暗闇に慣れきった網膜に、これまで一度も見たことのないような星空が映った。星が明るすぎて、星座がわからないくらいだ。今になって思い返すと、あれはペガサスの四角形だったと思う。ということはその時刻は明け方近くだろう。
 知床岬の船の上で寝ながら見た星たち。一生忘れられない夜になった。 Dscf0504c
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知床岬行(3)

 夕方、バイクのオイル交換。

  知床岬(3)
 二日目、岬への出発が延期されたので、班別活動を行った。僕は3班に付き合ってビーチコーミングと磯遊びに付いて歩いた。海岸にはいたる所で漂着物が見つかるが、この日の最大の収穫は、中国製または台湾製と思われるミネラルウォーターの空きボトルとハングル文字の書かれている魚箱の破片だった。
 海岸がほとんどコンクリートの護岸で覆われている羅臼町の子どもたちは、漂着物を集めて観察するビーチコーミングの体験が乏しいようで、これらの発見に大喜びしてくれた。

 その夜のミーティングで、翌日、船で岬に向かうことが決定された。

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知床岬行(2)

 モイルスに到着してテントを張り、ベースキャンプとしての様々な施設を設置する。予定より早い到着だったので、余裕をもって作業できた。同時に、出発前から気がかりだったことがだんだん現実味を帯びてきた。それは、ヒグマの問題だった。実は、出発前に岬近くに人慣れしていて、轟音玉(野生動物撃退用の大音響を発する煙火)や花火弾で追い払おうとしても逃げない個体がいるという情報を得ていた。知床は、世界屈指のヒグマ高密度生息域であるから、「出没する」と言うのは少しおかしい。もともと「そこに居る」のであるから。
 ヒグマは北海道で長い間アイヌ民族と共生してきた。アイヌは森に入る前に、神への祈りを捧げることで、ニンゲンが近づくことをあらかじめヒグマに知らせる。ヒグマもニンゲンが近づくとさりげなく立ち去ったり隠れたりして無用の接触を避けていた。こうして普通は一定の秩序が保たれていた。このような関係は、知床でも最近まで続いていた。だが、近年、この均衡が破れつつある。そして、今年になって、このような銃声を恐れないクマが急増した。どうしてこのような問題個体が出現したのだろう。その理由は、まだハッキリと解明されていないが、ニンゲンの側からクマへ、何らかの過剰な働きかけがあり、クマが人の活動について学習してしまった結果ではないのかと言われている。例えば知床岬地区への人の出入りは、このところ急増していると言われる。その結果、人と接触した経験が豊富な個体が増加しても不思議ではない。今までは、母グマと別れて一本立ちした直後の個体にこのような傾向が見られる例が多かった。それが最近、成獣の雄にもそのような性格の個体が増えてきているらしい。僕たちが到着する前からモイルスでキャンプしていた登山者も岬方面でそのクマと遭って引き返してきたという話だった。
 岬へ向かう「チャレンジ隊」は翌朝出発する計画だった。しかし、その夜、スタッフのミーティングで、出発の中止が決定された。小中学生を連れて行動するのだから状況判断が慎重になることは仕方がないことだろう。危険な場所を苦労して海岸線を行き、岬に到達することで達成感や成就感が得られるわけだが、一頭のクマのために全体の計画が狂ってしまうのだ。やむを得ないことではあるが、あらためて「クマの威力」の大きさを思い知らされた。

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知床岬行(1)

 出発の朝は雨だった。強い雨の中を次々と参加者が集まって来る。大ホール出発式を行った後、皆、バスに乗り込んで出発点の相泊(あいどまり)へと向かう。相泊に着く頃、雨は止んでいた。
 「海岸線を歩く」というと波打ち際を淡々と歩き続けるような印象を持つかも知れないが実際は違う。第一日目の行程は、相泊からモイルス(モイレウシ川河口)までだ。距離は約8km。カモイウンベ→崩れ浜→観音岩→化石浜→でばり→タケノコ岩の順に通過していく。カモイウンベまでは、昆布採りの番屋が立ち並び電気も来ている。漁業者が陸路も利用するので石浜ではあるが、比較的平坦で歩きやすい。崩れ浜に近づくにしたがって大きな石が混じり始め、歩行のリズムが乱される。この傾向は進むにつれて大きくなる。それでも、観音岩までは、普通の浜歩きである。
 海岸は、観音岩で行き止まりとなる。進むためには海岸線より少し山側にある岩の鞍部を超えなければならない。浅いチムニーがルートになっている。岩を登ると鞍部はちょっとした広場だ。小さな観音像が岩のあちこちに安置されている。沖縄にもこんな場所があったなあ。子どもたちの安全を考えてこの場所はザイルを使って一人ずつ登る。全員が通過するのに一時間以上を要した。 
観音岩を過ぎると道は、少しの間、低い海岸段丘上の森の中を進む。やがて海岸に出ると化石浜である。ここは、崩れ浜よりも一層歩き難い不揃いな岩から成っている。この石浜が尽きると「でばり」と呼ばれる海食台の上を進む。ここは、満潮の時や時化の時には通行できなるのだという。でばりを過ぎると大きな火山岩屑のかたまりが崩落して散らばり迷路のようになっている海岸を進む。この岩屑は、知床岳の火山活動によるもので、ガラス質の 大きな晶が鋭く突出していて体のあちこちが傷つけられる。僕もここでズボンのお尻に大きなかぎ裂きを作ってしまった。
 そして、道はタケノコ岩で行き止まる。タケノコ岩もザイルを使って、ちょっとした鞍部を乗り越えた。小一時間かかった。
 タケノコ岩の上に立つと眼前にモイルス湾が広がる。ふと千島列島のウシシル島の景色を連想した。ここにベースキャンプを設ける。

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クジラ

 港は濃い霧に包まれていた。
 やはり、と思った。根室海峡は、どうしても僕を霧で迎えたいらしい。この霧が、僕とクジラを隔てる意志のようにも思えて、少々意気が下がるなあ、と感じつつタラップを踏む。今日乗せてもらう船は「民宿まるみ」さんの「アルランⅢ世」だ。
 
 少々沈んだ僕の気持ちにお構いなしで船は港を出た。しばらく走っても霧は晴れない。波も少し高い。風も出てきた。今日もダメかな、と思った時、船の進行方向の霧が薄くなり、青空が見えだした。風も弱くなっている。もう国後島との中間ライン近くだが、ハシボソミズナギドリの群れも集まっている。ひょっとしたら、と期待がわき始める。

 やがて、先にその海域に来ていた知床ネーチャークルーズの「エヴァーグリーン」が北東方向に走り出した。よく見ると左舷前方に噴気が見える。マッコウクジラだ。「アルランⅢ」のエンジンが唸り出す。あっという間に「エヴァーグリーン」と並んだ頃、海面で行こうマッコウクジラのそばまで来ていた。
 久々に見るあのゆったりとした呼吸。人間をまったく無視しているようにゆうゆうと体を休めている。数分間、断続的に噴気を繰り返した後、一瞬腰を高く持ち上げた。
「潜る」と思ったと同時に尾を高く上げてそのクジラは海底に向かって行った。
 5月末、ガリンコ号でミンククジラには会ってきたが、根室海峡のクジラは実に実に久しぶりであった。
 ああ、良かったなあ。Dscf1492tc
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「DSCF1477t.jpg」をダウンロード

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ワタリガラスに出遭った朝

 朝、ワタリガラスが5~6羽、鳴き交わしながら飛んで行った。
 今年の春は、渡り鳥の動き始めが例年より早いとか。あの群れも渡りだったのだろうか。それとも渡りに備えての訓練飛行か。

 ハクチョウなどガンカモ科の渡り鳥と違って、ワタリガラスは、「渡っています」という態度を示さずにさりげなく渡っているように思う。
 ガンカモ科の鳥たちは、「計画表」とか「行程表」などを何枚も作り、「打ち合わせ」を重ね、「送別会」なんかも5~6回は開いたりしてから大勢に見送られて旅立っていくように感じられる。
 それに比べるとワタリガラスは、
「ちょっとそこまで行ってくるよ」と言って、そのまま旅に出てしまうようなカッコよさがある。

 カラスであること。知恵には富んでいること。そして、誰にも、どんな勢力にも与しないアウトローであること。これがカッコ良さだ。その上、他のカラスと違って「ワタリ」つまり流れ者なのである。
 昔の北方諸民族の人たちも、そのカッコ良さにしびれたに違いない。

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流氷が来た

 よれよれになってたどり着いた、という感じだが、とにかく来た。
根室海峡の波に揺られ、朝日に輝いていた。
 2009年冬の流氷である。Dscf1304t
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風の一日

 低気圧は道東からかなり離れたコースを通ったもようで、吹雪に向かって身構えたが肩すかしを食らった。
 ただ、羅臼のそこそこに雪が降り、玄関前の除雪をしてから出勤した。ただ、終日風は強く、山の斜面のそこここで雪煙が巻き上げられる様子が見えた。
 今日、知床では風が主役であった。

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熊越えの滝 アタック記

    熊超えの滝へ
 冬の熊越えの滝へ行ってみることになり、総勢6名で出発した。
 根室沖に優勢な低気圧が進んできている。風も雪もそこそこの量だったが、行動できないような状態ではない。まずは行ってみることにする。
 熊ノ湯のゲートから入り、閉鎖された横断道路の上を進む。スノーシューが必要ないほど表面がクラストしている。覆道を通り、大橋を渡って入り口に。いよいよ遊歩道に入る。遊歩道はすっかり雪に埋まり、夏とは全く異なる景色だ。夏にイヤというほど来ているので、道筋はわかる。一応、夏のルートに沿って進む。雪は、いく分柔らかく、スノーシューの能力が十分に生かされ始めた。
 だが、そう思ったのもつかの間、ルートはかなり急な傾斜を横切るように進んでいて、その部分の雪面はガチガチに凍っている。ほとんど氷の壁を横切るような状態になってきた。スノーシューには爪が付いているのだが、全く役に立たない。
「これはアイゼンじゃなきゃ駄目だね」
などと話していた途端に僕の足下が滑った。体がどんどん滑り出す。もうダメだ。覚悟を決めてお尻で滑り降りる。小さなバウンドの後、体は浅い流れの中へ。
 くるぶしくらいの水深だし、滑落距離も数メートルだからまったく問題は無し。
 しかし、ハイキングコースと言うほどもない熊越えの滝が、今日ははるか遠くに感じられた。
 山は侮ることができない。

 下りてみるとひげが凍っていた。

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雪上のひととき

 雪上のひととき
 新雪の上を歩いた。オコジョの足跡があちこちにつけられていた。前夜は夜半に月が昇り、森の中の雪を照らしたに違いない。月光を浴びながらオコジョたちは、自分たちだけの世界を楽しんでいたのだろう。
 雪に顔形を作ってみた。今は、僕らだけの世界だった。

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続編 「知床横断鉄道」

   知床空想列車…ある夏の夕景
 知床斜里発カムイワッカ行き、三両編成の637列車は定時に0番線を滑り出した。一旦廃止され、復活した根北線のレールを辿って以久科駅を過ぎる。やがて越川駅に着く。以久科でも越川でも部活帰りの高校生が賑やかに下車した。まるで小鳥の群れが飛び去った後のようだ。高校生たちの通学の手段として、知床線は重宝されている。それまで自家用車で送迎されていた高校生たちも通学列車に戻ってきたという。バスでは望めない開放感とくつろぎを列車に感じるからだろうか。
 越川を過ぎるといよいよ知床半島部に乗り入れる。午後の斜光に照らされて金粉をまき散らしたようなオホーツク海が眼前に広がる。夏のオホーツク海には、「北の果ての海」という陰鬱なイメージはない。薄い青色の海面がどこまでも広がり、穏やかで明るい。列車は、峰浜駅を出るとウトロ駅まで、オホーツク海を左手に見ながら走るのだ。この季節、北緯44度の知床半島の日没は遅い。
 17時46分、斜里から54分でウトロ駅に到着する。乗客の大部分は観光客で、ウトロで下車した。今夜の温泉と海の幸をふんだんに使った夕食への期待で、唾液腺の活動が高まっていることだろう。網走を観光してから知床に来た人が多いようだ。中には旭川市の旭山動物園を楽しんで来た人もいる。
 夏季の輸送繁忙期のため増結された二両をウトロで切り離し、一両になったキハ54は、ようやく水平線に近づいた夕陽に照らされた幌別台地に向かって長い上り坂を軽快に登っていく。この車両は、従来のキハ54に高性能蓄電池とモーターを組み込んでハイブリッド化したものである。車内には、岩尾別のユースホステルへ行く旅行者、木下小屋に泊まって明朝羅臼岳に挑む登山者、自然センターを訪ねる研究者らしい人物が2人乗っている。さらに、「横断鉄道」の最終列車に乗り継いで羅臼町を訪ねる旅行者が7~8人、意外にたくさんの人が乗っている。
 列車は、自然センター駅のホームに到着した。島ホームの反対側、2番線に知床横断鉄道の小さな赤い客車が待っている。半分ほどの乗客を降ろしたキハ54は、そそくさと岩尾別台地に向かって幌別台地を下っていった。終点カムイワッカ駅では、知床山系縦走を果たした登山者たちが待っている。この車両が折り返し上り638列車となって、斜里駅に帰り着く頃には、長かった夏の日もとっぷりと暮れていることだろう。
 637列車を追いかけるように、ひときわ高い汽笛とともに2番線の羅臼行きも出発した。出発してすぐ、レールは大きく右に曲がり、知床峠へと伸びている。客車と同じ赤く塗られた機関車は、この長い登りに挑むように進んでいく。この列車が羅臼に着くのは19時を少し過ぎているだろうか。知床横断鉄道の最終列車には、大きな三脚を持ち込んだ人々がいた。この人たちは、夜の知床峠で一晩中星を眺めて過ごそうというのだろう。
知床横断鉄道ができて、一般の自家用車の通行が禁止された知床横断道路は、約三〇年ぶりに原始の闇と静けさを取り戻した。そのため、最近になって天体望遠鏡を持ち込み星空を楽しむ人々が多くなった。しかし、この地域はヒグマの高密度生息域であり、国立公園を管理する知床財団では、ヒグマとヒトの偶発的事故防止に神経をとがらせている。今頃は、羅臼行きの車内で、添乗している知床財団職員からヒグマへの注意を受け、クマ撃退スプレーなどの装備のチェックを受けていることだろう。
知床峠をゆっくり登っていく登山鉄道を後押しするようにな光を投げかけ、夏の太陽が水平線に沈んでいった。
 こうして知床の夏の一日が過ぎていく。

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「知床横断鉄道」の夢

 早起きしてテレビをつけたら「世界SL紀行」という番組を放送していた。スイスの山岳鉄道とルーマニアの森林鉄道が紹介されていた。経済性や採算だけでなく、文化=産業遺産として鉄道を今でも大事にしていることがよく伝わってきた。
 昨年末、「知床自然大学検討会」で斜里町の人々と語り合った時、斜里町と羅臼町を結ぶ交通機関として、知床横断鉄道の必要性をあらためて感じた。昨年の春、「レールライフ」という鉄道雑誌に書いたものだった。お正月だ。夢のある話もいい。

1.なぜ、知床に鉄道を、と考えたか。
知床半島は2005年、世界遺産条約に登録され注目を集めた。それは一時の観光客誘致の手段ではない。この地域の自然環境を未来にわたってより良い状態で継続させる必要がある、という人類共通の意志が示された、ということである。
 現在の知床では一部の観光スポットに来訪客が集中し、自家用車は飽和状態である。

2.知床鉄道の概要
 「知床鉄道」は次に二つの路線からなる。
①斜里・ウトロ・幌別台地・カムイワッカを結ぶ普通の鉄道(JR線)
この路線は、ウトロを訪れる観光客、知床連山への登山者、知床半島先端部の漁業者の生活物資や水産物の輸送を主とする。

②幌別台地と羅臼を結ぶ知床横断鉄道(本格的な山岳鉄道)
知床横断鉄道は、国道334号線に代わる路線とし、自動車の通行に伴う自然へのインパクトを現在、将来にわたって軽減することを目的とする。したがって、①に比べ、観光客の輸送に重点が置かれるが、羅臼町とウトロ地区や斜里町との文化的な交流を支える役割も小さくない。従って冬期間の運行可能性も視野に入れる。
 横断鉄道の輸送対象は知床峠への観光客、羅臼湖への登山者、羅臼・ウトロ間を移動する観光客、さらに知床財団や行政関係者、地元で自然環境について学習している高校生などが主になる。

3.各論
3-1.車両
車両は、整備の利便性やコストの低さを考えて動力集中方式にする。動力は、環境への負荷を考慮すると電気が望ましい。しかし、景観への影響を抑えるためには架線を用いない方が良い。これらのバランスをとるために、ディーゼルエンジンを電気によるハイブリッド機関車を新たに開発する。ハイブリッド機関車は、まだ実用化されていないが、この点は最新の技術を集約してこの鉄道の最大の特徴として位置づけたい。

3-2.登坂方式
 幌別台地・羅臼間は、距離が短い。また、知床峠の景観を楽しむ目的の乗客も多いと思われるのでそれほどの高速は必要ないと考えられる。
 したがって、急勾配への対策としては技術が確立されているアプト式がふさわしい、と思われる。また、羅臼側の急峻な地形への対策としてはループ式も併用せざるを得ないだろう。鉄橋を多用することで冬期間の運行も可能になると考えられる。

3-3.運行期間
 観光を目的に考えると冬期間の運休もやむを得ないようにも思われるが、冬期間の魅力を積極的に売り込むためには通年運行が望ましい。生活路線として定着させるためにもこのことは重要である。
 国道を廃止し、その跡を利用して敷設する路線であるから、自動車との差を明らかにするためにも冬期間の運行確保は不可欠である。

4.まとめ
 ローカル線が「赤字」を理由に次々に廃止されていった中で、新しい路線の建設など絶対にあり得ないことだろう。「現実」にはほぼ実現不可能なことがらに違いない。実現できないからこそそれは夢であり、人は夢によって生きるエネルギーを得てきた。
 しかし、「知床鉄道」は、突拍子もない夢ではなく、実現可能性のある夢なのである。
 社会的な価値観がほんのちょっと変化するだけで、このプロジェクトは現実に走り出す。外国には同じような鉄道路線が存在しているし、知床に鉄道を敷きたい、と願い続けてきた人々は少なくない。「瓢箪から駒」という言葉もある。
 ここで論じたプロジェクトは、個人のささやかな思いつきであって、もっと具体的に「知床鉄道」の計画を描いている人もいるはずだ。そのような人たちが、いろいろな機会に夢を述べ合うことで、「知床鉄道建設計画」は埋み火のようにこの土地でいつまでも息づいていくだろう。
 知床半島は海底火山が造った半島である。知床の山々の地下には、今も火山のエネルギーが眠り続けている。そんな密かに息づく地球の熱い息吹とともに、「知床鉄道」の夢も、永く語り継がれていってほしい。

(イラスト 山富士ままこ さん)


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