「コンカツ」を嗤う
「コンカツ」というから何のことかと思った。キツネの肉のカツレツか?じゃ、タヌキもあるかな?「ポンカツ」だな。
スズメのカツレツなら「チュンカツ」もあるかな。ウマのカツレツは「バカツ」かぁ。
まさか、就職活動=「就活」と同列の結婚活動だとは思い至らなかった。なぜなら結婚と就職は別次元。片方は社会環境の中における自分のニッチェ(地位)を確立するための活動だし、片方は自分の恋愛観とか価値観、人生観に関わるごく個人的な事情から発生するものだから、公に「活動」するようなもんだではない、とカタクナに信じていたものだから。
それらが同列に論じられ、「似たようなカテゴリー」に帰属させられているとは。
そして、最近では親が熱心に活動しているらしい。就職にも結婚にもね。
この国のニンゲンは、このようにして生きていく力をどんどん失って、そのうちに妊娠出産のための活動=「ニンカツ」とか、家庭教育をして子育てをキチンとするための活動=「キョ-カツ」、病気を治療するための活動=「ビョーカツ」、正しい葬式の準備をする活動=「ソーカツ」というふうに、誰かに頼って生活していくことが当たり前になっていくかも知れない。
自分を失ったニンゲンとはコワイものだなあ、とつくづく思った。
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コメント
私も、知床に来て「何もない」と感じてしまう人や「コンカツ」等人間関係にマニュアルを求める考え方には疑問を感じます。
けれども同じ「この国」や「この世界」に生きている以上、その人達だけの問題ではなく、
私の問題として、
歩み寄って、
考える必要があると感じています。
ちょっとした「気付き」で人は変われるものだと思います。
私自身も、自分や周りの人と向き合う事で「気付き」を与えられてきました。
そうして人の心は豊かになっていくのだと感じます。
そこに愛というものを感じます。
私は音楽をやっていますが、
そういうキッカケを少しでも投げかけられるような表現が出来たらと常々思っています。
長々と失礼しました☆
投稿: えり | 2009年5月11日 (月) 09時11分
えりさん:
コメントありがとうございます。
ご指摘、もっともなことと思います。
まず、そのような人々本人の責任ではなく、そのような構造を作り出したことにこそ責任があると、僕も思います。
>同じ「この国」や「この世界」に生きている以上、 その人達だけの問題ではなく
「気づき」の積み重ねによって人は変わりうる、と僕も考えています。
教育の現場とは、そのような「気づき」を多く引き出すことを目的として営まれるべきだ、と思います。
ところが、それとはあまりにもかけ離れた現実をずっと見続けて、僕の心が荒んでしまっているのかも知れません。
いずれにしても、「力」で解決できる問題でないことはわかっているのですが。
真摯に受け止めてくださって、ありがとうございまし
た。
感謝と尊敬をこめて
そして、
投稿: 霧野 | 2009年5月12日 (火) 15時20分